読売新聞大阪本社が、数多くの証言を聞き取り長期連載、好評を博す。昭和50年7月3日から始まり、5000回(14年)を越えた戦記シリーズ。
『ブーゲンビル』
読売新聞大阪本社社会部 編
人々がいつしか「墓島」と呼ぶようになったブーゲンビルとは、どのような戦場であったのか。
歳月に埋もれようとする「墓島」を語り伝えるべく、九死に一生を得た生還者たちの証言を縦糸に、無念をかみしめつつ島を訪れた慰霊団の遺族らのやる瀬ない心情を横糸に織りなす。
『タラワ』
読売新聞大阪本社社会部 編
アッツ島についで玉砕の島となったタラワは南海の小さな珊瑚礁。そこには、どのような生があり、死があったのか。わずかな生還者が重い口を開いて語る将兵の最期。亡き人への追憶に生きる肉親らの姿をからめてつづった長編。
『比島棉作部隊』
読売新聞大阪本社社会部 編
軍部から突如下った「比島棉作」命令。それを受けて旧呉羽紡績からは70人がフィリピンに渡った。
フィリピンの棉作をなんとか成功させようと懸命の努力、苦闘と挫折の果てに「産業戦士」は比島戦に巻き込まれ、次々に倒れた。その悲痛な軌跡を克明に追った異色シリーズ。
『ニューギニア』
読売新聞大阪本社社会部 編
飢えと病の極限の戦場で肉親を失った遺族たちのやる瀬ない心情、遂には人肉を口にし、苦渋に満ちた戦後を送る人々…。
戦後45年にして明かされる極限の人間ドラマをつづる。さらにこの戦場に動員された台湾義勇隊員の証言を拾う。
戦場は、まさに生き地獄だった。
『葛根廟』
読売新聞大阪本社社会部 編
興安街を脱出した邦人婦女子数百人が、ソ連軍戦車に蹂躙、殺害された満州での悲劇の一つ。密やかに語り継がれた惨劇を、戦後40年目にしてようやく現地訪問を許された25人の生存者からなる慰霊団員の証言を中心に追跡する。
敗戦なるがゆえの悪夢が渦巻いている。
『BC級戦犯 上』
読売新聞大阪本社社会部 編
戦争が終わり、祖国が平和を取り戻しつつある頃、戦犯の名を負ってチャンギー刑務所の絞首台に消えた人々がいた。人が人を殺し合う戦場で人間は果たして自らの尊厳を守れるだろうか。
新聞記者がBC級戦争裁判を通じて人間の根源を問いかける。
『BC級戦犯 下』
読売新聞大阪本社社会部 編
戦争が終わり、祖国が平和を取り戻しつつある頃、戦犯の名を負ってチャンギー刑務所の絞首台に消えた人々がいた。人が人を殺し合う戦場で人間は果たして自らの尊厳を守れるだろうか。
新聞記者がBC級戦争裁判を通じて人間の根源を問いかける。
『アドミラルティ諸島』
読売新聞大阪本社社会部 編
守備隊3830人中、75人の生還者が口を閉ざす南海の孤島・アドミラルティ諸島は、いかなる戦いであったのか。それは敗走・飢餓・上官殺害・人肉食へと崩落する。
戦場の実相を追い求める遺族の切なる願いに応えて、半世紀ぶりに今、明かす悲痛な孤島戦の悲劇。
『遥かなるミレー』
読売新聞大阪本社社会部 編
太平洋を隔てて5000km。かつて日本最東端の「領土」だったマーシャル諸島のミレー環礁。背後を絶たれ、米軍パイロットの訓練目標になった孤島での敵は飢餓だった。
海岸砲やトーチカなどあちこちに今も残る戦場。〈置きざりにされた島〉の惨状を、詳細な取材でえがく。